ヴント<W.M.Wundt;1832-1920>
古代から続いた哲学的な心理学、たとえば人間の心理は、太陽の力、星の力、宇宙の力など、「外なるもの」によって支配されているという発想に終止符をうったのがヴントといわれています。
それまでの哲学的な心理学とは異なる実証的な心理学を構想して、人間の意識に着目し「心の中でこう思っているから、このように行動するのだろう」といった仮説を作り、実験や統計をとり検証していきました。
こうした心のメカニズムを探る心理学を【実験心理学】とよんでいます。
ヴントは、実証実験を大学の教室で行って、ライプツィヒ大学の哲学教授を務めていた1879年、公認された世界初の心理学実験室開設に至りました。
ヴントの心理学は、【意識的】に感じていることが行動に影響を与えているという発想に基づいた、現代の神経心理学の分野で功績を修めました。
これに対し、【無意識】にというものを重要視し、臨床心理学、精神分析の分野で功績を残したのがフロイトやユングなのです。
フロイト <S.Freud;1856-1939>
精神分析がどんなものか知らない人でも、フロイトという名前は一度は耳にしたことがあるでしょう。
マルクス、ダーウィンと並んで三大思想家の一人とも言われるのが、精神分析学を創始し神経内科医でもあったフロイトです。
ヴントを現代心理学の始祖とすれば、フロイトは臨床心理学の祖といえます。
フロイトの精神分析の理論の基礎が固まったのは、ウィーン大学医学部を卒業後、神経内科医としてパリに留学し、神経内科の権威シャルコーと出会ったのがキッカケと言われています。
当時の神経難病は、不治の病とされ、唯一治るようになったのがヒステリーでした。
ヒステリーは女性特有の子宮の病気だと考えられていましたが、シャルコーは、そのヒステリーを催眠術で治ることを発見しました。
フロイトは、シャルコーが催眠術で治療するのを見て、「無意識」に働きかけることで心を治すというモデルを考え始め、やがて催眠術をかける代わりに「自由連想」や「夢を語らせる」といった精神分析の手法を作り上げていきました。
フロイトの精神分析に関する理論や概念はいろいろあります。よく知られているのは「無意識」「精神-性的発達理論」「心の構造論」です。
フロイトの無意識の発見に共感し、共同研究や理論を応用展開した弟子達のなかでも著名なのはユングですが、最終的に訣別することになります。
フロイトの無意識や精神理論には非常に共感したものの、無意識を何でもかんでも性本能に結びつける考え方が合わなかったようです。
ユング <C.G.Jung;1875-1961>
フロイトによって誕生した精神分析学は、当初フロイトが主張していた理論とはまた異なる形で大きく展開していきました。
日本でも人気のあるユングは、チューリッヒの精神病院に勤務する医師としてフロイトと知り合い、無意識という理論に感銘します。
そして、フロイトと親しい親交をもつことにより、やがて彼のリビドー(性衝動)と無意識への思想的な違いにより訣別することになります。
二人の考えたリビドー(性衝動)と無意識の決定的な違いは、フロイトのいうリビドーは、性的なものに限定されていたのに対して、ユングにとってのリビドーはもっと幅広い、心的エネルギーを指していたことです。
無意識については、フロイトは個人的で後天的な無意識(コンプレックス)を重視したのに対し、ユングは人類に共通する普遍的な無意識(元型)があるはずだという「集合性無意識」の考え方をとったことです。
ユングはその元型を突き詰めようとして、世界中の神話や古代思想に答えを求めるようになっていきました。
錬金術、チベット仏教、道教、善の瞑想など東洋の思想は、彼に大きな影響を与えたとされています。
そして、彼自身精神的な危機状態を体験し、それを乗り越えたことで彼独自の「分析心理学」の基本を確立するに至るのです。
ユングの心理学は日本でも受けが良く、一般の人々の間でも人気があります。
しかし、大学の心理学科などでアカデミックな心理学を学ぶとなると、正面切ってユングの心理学に取り組む機会はあまりないかも知れません。
人間をより深く、多面的に理解する上では有用な面があるとしても、ファンタジーやオカルトといった印象が持たれているのではないでしょうか?
エリクソン <E.H.Erikson;1902-1994>
フロイトの発達理論では、乳幼児期の口唇期からはじまって、性器期までの5段階とし、思春期以降の成人はすべて性器期にひとくくりにしました。
人間の精神発達を、性的エネルギーの対象との関係だけで考えたのがフロイトの発達理論です。
これに対し、個人の発達に関係する社会的なことや対人的な面を取り入れ、人間の生涯にわたる発達を8段階に分けて考えたのがエリクソンです。
エリクソンは、「アイデンティティ」や「モトリアム」といった、人格形成に関する考え方を生みだし、精神分析的自我心理学を展開しました。
アイデンティティとは、「自分は何者なのか」「自分の存在価値は何か」というような、社会の中での自分の確たる意味づけのことをいいます。
モトリアムとは、アイデンティティが確立するまでの間、交友関係や学業や仕事などの活動を通して自分自身を模索する期間のことをいいます。
精神発達理論にアイデンティティやモトリアムを取り入れ、人間の発達段階を「1)乳児期、2)幼児期、3)児童期、4)学童期、5)青年期、6)成人期、7)壮年期、8)老年期」に分けた「ライフサイクル理論」を発表しました。
ライフサイクル理論の中核となっているのは、アイデンティティという概念で、青年期に特有の課題と位置付けられています。
エリクソンによれば、この時期にアイデンティティを獲得できなければ、その次の段階へと発達していくことができません。
つまり、アイデンティティの確立は、青年期を超えて、個人の生涯を通しての課題としても捉えられています。
パブロフ <I.P.Pavlov;1849-1936>
「パブロフの犬」といえばロシアの生理学者パブロフ。
パブロフは心理学者ではなく、食物消化についての神経機構に関する研究で、ノーベル生理学賞を受けている生理学者でした。
パブロフのイヌ実験では、唾液腺や胃の一部を、手術によって身体の外部に出して、外から観察するという荒技実験をしました。
その実験では、イヌはえさを食べるとき以外にも、えさの皿を見ただけでも、またえさ係の足音を聞いただけでも唾液や消化液を分泌することを発見しました。
ちょうど日本人が梅干しを見たり、梅干しという言葉を聞いただけでも唾液が出てしまう、ということに等しい現象です。
動物(人間も)は、何かの実体験をした後に、その体験の一部または全部が条件となり、「条件的に」反射が身につくという「条件反射」を発見したのがパブロフです。
「パブロフの犬」で得られた現象は、「えさの皿」や「足音」が、えさを食べることの条件(シグナル)となった結果起こった心理的な現象であるとパブロフは考え、これを「精神的分泌」と呼びました。
条件反射の研究が始まったキッカケが「パブロフの犬」だったようです。
ワトソン <J.B.Watson;1878-1958>
「環境や経験こそが人間を決めるのだ」と言ったのは、アメリカの心理学者ワトソンでした。
「私に、健康で良く育った1ダースの子どもと、彼らを養育するために私自身が自由にできる環境とを与えて欲しい。そうすれば、そのうちの一人をランダムにとりあげ、その子を訓練して、私が選ぶ専門家-医師、法律家、芸術家、実業家、さらには、こじき、泥棒にさえもしてみせよう。その子の祖先の才能、好み、傾向、適正、能力がどうであろうと」
と豪語したそうです。
また、ワトソンは人間の性質は経験によってつくられるということの一端をパブロフの条件づけと同じやり方の「アルバート坊やの実験」で実証して見せました。
ワトソンは、それまで白ネズミを怖がらなかった赤ちゃんに、白ネズミを触ろうとするたびに大きな怖い声を聞かせるというシンプルな実験を行い、その赤ちゃんを、白ネズミを見るなり怖がって逃げるようにしてしまいました。
こうした実験により「人間を決めるのは、生まれつきの資質よりも、どういった環境で育ち、どんな経験をするかの方」であることを強調し、20世紀前半のアメリカの心理学派に【行動主義】を打ち立て席捲した革新的人物がワトソンです。
森田正馬 <もりた まさたけ;1874-1938>
「俄然注目されている森田療法。世界的にも広がり、海外でも紹介されるほどの神経症理論となっています。
森田療法は、森田自身が大学生の頃患った心悸亢進発作を克服したのが原点とされています。
彼は、切羽詰まってむかえた定期試験で、死をも覚悟して猛勉強した際、集中するあまり病気を忘れてしまい、成績は上昇。その時の試験を克服した体験が森田療法を編み出す原点となりました。
森田療法の主眼は、人間が本来もっている人間らしい欲望や不安、感情のメカニズムなどを科学的に解明-その理論にもとづき、「あるがまま」の心を育てることによつて神経症をのりこえていく、ということです。
正馬は精神医学のほかにも、祈祷や催眠術も独学したとされています。
開業後は自宅を患者と共同生活する場にし、患者と踊りを楽しみ、三味線を弾き、寝食を共にしたそうです。
何でも自分でやってみて、自分で確かめる正馬の姿勢は神経科医になったあとも続きました。
「あるがまま」に前向きに捉え、楽しみ、そしてそれが治療になる。
神経症は口で言うほど簡単には治らないでしょうが、自分自身を見つめ直す機会が乏しい現代社会では、この森田療法の理論が受け入れられているのが理解できるような気がしてなりません。