1971年 カリフォルニア大学 フランシス・ムーア・ラッペ 「小さな惑星のための食事」この料理書で彼女は、専門家たちの言ってきたいくつかかの虚偽をあばいた。
新しい米国人の食事、肉食を中心とした食事、もっと正確に言えば穀類で育てた肉を中心した食事・・・・それは西欧型の食事をさらに悪い方向推し進めた食事・・・・・が飢餓を生んでいる原因の一つだとしてラッペは、つぎの五つの力が地球上に飢えと貧困を拡大させていると指摘した。
穀類や大豆を飼料として輸出することで、米国の農産物の輸出高は、1960年代以降10年で二倍になるという急成長を示した。
農産物の“外国市場の開発”を積極的におし進めたのが、FASと略称される米国農務省の国外農業部だが、「FASの印刷物を読むと、だれしもわれわれの国の生き残れる道は、世界中にハンバーガーの愛好者を一人でも多く生み出せるかどうかにかかっているという気がしてくるだろう」FASの戦略は、世界中の家畜を穀類と大豆で育てるようにすることによって、穀類と大豆の輸出を拡大するというものであったといえる。当然ながらそれは、“穀類で育てた肉中心の食事”を世界におし進める戦略でなくてはならず、ハンバーガーの愛好者を1人でも多く生み出すことにほかならない。
1971年から1982年までのごくわずか10年あまりのあいだにも、米国における農業資源の枯渇は深刻なものとなり、米国の農業に危機の様相はみえはじめた。
そして、この地球上で生産される穀類の全収穫量の半分は、人間ではなく家畜が食べるものになった。
タンパク質摂取量の最初の勧告量は、1880年にドイツの化学者のカール・フォイトが発表した男性成人1日当たり118グラムというもので、これは単に健康な男性成人が実際に食べている量に基づき、算出したもの。1902年には、米国の栄養学者のアトウォーターが、その値を125グラムに引き上げるが、これもまた実際に食べている量から算出したもので、当時の米国のにおけるたんぱく質神話を反映していた。
1965年のFAO、WHOの合同委員会の発表した数値は、成人の場合、男女とも体重一キロあたり0.71グラムとした。体重65キロの男性であれば、約46グラム、成人女性で44グラム。
1980年に米国RDAから、成人男子56グラム、成人女性44グラムにあらためている。
まず、事実として彼女は、米国で収穫される農産物の半分以上は家畜の飼料となっており、そのごくわずかしか食卓に戻ってこないことを知っている。牛肉1ポンドをえるには穀類あるいは大豆を16ポンドを食べさせなくてはならない。
われわれが食べているのは穀類と大豆で育てられている家畜の肉である。 家畜を穀類で飼育するシステムが最初に導入されたのは1940年代で、それは人類史上はじめてのことである。
1970年のはじめには、約四分の三の牛が穀類で飼育されるようになった。そしてそのあいだに米国の牛の数は二倍になった。 1950年以降は、納屋の周囲で飼われていた鶏が大きな工場のような建物の仕切りの中に閉じ込められるようになり、穀類による飼育によって、その数は三倍以上に跳ね上がった。 豚も同様で、いまでは米国に飼料にされている穀類の三分の一は豚が消費されている。 この豚や牛が消費する穀類と大豆は、年間に一頭あたり2.5トンという驚くべき量である。
牛の場合は、16ポンドの穀類を食べさせて1ポンドの肉しかえられない。 一ポンドのハンバーグの代わりに16ポンドの穀類を食べたとしたら、21倍のカロリーと8倍のタンパク質がえられる。
草を食べているよりも大豆や穀類を食べているほうが、家畜は3倍早く体重がつく。
1970年には農業が、米国が輸入した化石燃料の約10%を消費するまでになった。 機械化した農業では、1カロリーの牛肉のために78カロリーの石油を必要とする。 大豆は2カロリー。 水の消費は、一ポンドの牛肉のために3000~15000ガロンの水、大豆は1065ガロン。
機械化された農業、化学肥料、農薬漬けの農業によって安いトウモロコシや安い大豆が作られているが、農薬の多くは脂溶性なので、肉のなかでもとくに脂肪組織でその濃度が高まる。 「農薬の摂取量を減らすには、肉を食べないようにするだけではだめで、全乳、バター、脂肪の多いチーズも減らさなくてはならない」
「何を食べるか?」すべてはこの問いに発する。何を食べるかは、自分のコントロールの範囲だが、「その行為はわれわれを、地球全体の経済的、政治的、環境的状況につなげ」ていく。 食物連鎖の上位のもには、DDTやBHCなどの農薬の残留濃度は高くなっている。 食物連鎖の下位のものを食べて食事の主体を構成しようと考えるべきである。具体的にいえば、穀類と豆類を中心に、野菜、果物、小魚、乳製品を食べ、たまに肉を食べるという食事である。そうすれば、環境汚染物質から自分を守ることになるのは確かである。
ということで、少し入り込み過ぎましたが、最後まで読んでくれた方には感謝します。
いろいろと難しいことになってしまいましたが、まずできることを、あなたなりに気楽に取り組んでいきましょう。きっと、いいことがあると・・・願って!!